京町家に思う 1 〜価値観〜

2009-12-05

仕事柄、町家とかかわることが多いので、町家について思うことを書いてみよう。

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今から50年以上前、私は大徳寺近くの機家造の町家で生まれました。

前庭から玄関をすぎ、通り庭の真ん中の2階までの吹抜けの空間に、祖父と祖母の機が2台すえてあり、上部に紋紙(織物の文様を織りだすためのデータロール)が積まれていた。通り庭にはおくどさんとタイル貼りの流しがあり、ごはんは薪で炊いていました。その頃は廻りの家も同じような環境で、なんの違和感もなく暮らしていました。

小学校高学年の頃、近所の家の窓が木製建具からアルミサッシに取り替えられ、外壁にタイルなどを貼り始めた。それは高度経済成長による、住宅の近代化の始まりであった。

コンクリート造りの公営アパートに住む友達が我が家に遊びにきた時、おくどさんの煤で黒く変色した吹抜けの空間を見て、「杉木君の家、火事になったの?」ときかれ、なにか、すごく古い家に住んでいるという、はずかしい気持ちになりました。

しかし、間もなく工務店をはじめた父により、我が家にもアルミサッシが入り、新建材と呼ばれる化粧ベニヤで内装がされ、外壁はモルタルで塗られて、子供心に我が家も新しい家の仲間入りができ、生活文化レベルもあがり、誇らしいような気がしました。

その頃から、新しいものが時代を前へ進んでいて、古いものは遅れているという価値観が芽生えました。そうしてどんどん京都の町は変わり、おおよそのものがその価値観のまま、今に至ったのだろうと思います。

そんな壊れていく京都を思い、保存などの運動をされていた方々も多くいらっしゃいましたが、残念ながら近代化に没頭する者たちは聞く耳をもたなかった。半世紀がすぎ、ようやく行政も町家の保存などに積極的に関わるようになってきましたが、長年かけてこわしてきたものを保存、あるいは新しい京都の建物を再構築していくには、まず、建物の建主側の価値観、美意識、生活文化度が変わり、向上しないと、規制やまわりの者の理想の考えだけでは根本的によくならないのではないかと思います。

杉木源三