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2012年2月アーカイブ

0227-01.jpg1989年、山科の新幹線の高架下にデザインさせていただいた、ヴィンテージカーのショールームです。

クライアントはアメリカに支社をもち、そちらで入手したヴィンテージカーを、このショールームで販売されていました。
高架下ということ、上に新幹線が走っているということ、前面道路が国道だということ等々、建築をするまでにクリアしないといけない行政関係の問題が多く、手続きが大変だった記憶があります。

しかし、OPENしたころはバブルもいよいよ佳境に入るところで、展示してある車も○千万円で、買いに来られるお客様もスーツケースに札束を入れてきて「これで勘定してくれたまえ」という話が本当にあったとかなかったとか。

日本はこれからどこへ向かうのかという時代でしたが、しばらくはデザインの仕事には苦労しないだろうという予感もする時代でした。



                                    杉木源三


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0221-0.jpgこのメランジェというお店も、僕が独立して間もなくいただいたお仕事だったと記憶しています。

フランスが大好きで、紅茶が好きで、とうとうマリアージュ・フレールの本社に、日本での紅茶販売の依頼にいき、その情熱で社長から50種類の紅茶を日本で販売してよい、という約束をとりつけた女性がお施主様でした。

その方が相談されたプロデューサーよりのデザイン依頼でした。

ヨーロッパ、フランス、紅茶と、僕の中にはないデザインテイストでしたが、アジアの植民地などで、欧米人がその土地の材料で欧米風に作った建物、例えば想像上の「東インド会社」の建物のような、というデザインテーマが与えられました。
もちろんそんな古い会社は見たこともないけれど、欧米人がしたことと逆に、アジア人が欧米をまねて、その土地の材料で作ったお店ということであれば、できるかもしれない。

ロゴマークやその他のグラフィックデザインも、プロデューサーによりスタッフィングされて、小さいけれど充実したお店に仕上がったと思います。
熱意は不可能と思われることも可能にする、ということを勉強させていただいたお店でした。

最初のお店は北山の東洋亭を北に入ったところにあり、その後1993年に近くのマンションの1Fに移転され、今は四条烏丸を上がったところに移転されています。
今も紅茶にかぎらず、中国茶、日本茶と、お茶の世界を広げられています。    



                                    杉木源三


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0213-2.jpg前回の「うふふ」がOPENした後、町中には新しいお店があちこちに出来始めました。
そんな時、知り合いのお店で働いていた人が独立するというので、お店造りのお手伝いの依頼をいただきました。

その建物は御池の高倉にある町家でした。

施主はその家で生まれ育った方で、目立つお店をして、近隣の迷惑になりたくないというお気持ちだったので、外観はそのまま変えずに、夜に営業される時だけのれんと行灯を出すことになりました。
その分、内部は一度スケルトンにして、亜鉛鉄板とナラ材のテーブル、収納、玄昌石タイルのほぼ三つの要素で構成し、全て改装しました。
亜鉛鉄板の壁の中に、造形作家の麻谷宏さんの作品を埋め込みました。

麻谷さんには額縁に入れたアートではなく、インテリアにとけ込んだオブジェを、とお願いしただけで、出来上がってきた時、竹の上に和紙を貼り、その上から鉛筆でドローイングのオブジェ、それが亜鉛の素材感とぴったりと合って、おどろきとともに感動したことを今も覚えております。

このお店が、僕がデザインした第一号の町家のお店です。
当時はこのような町家の改造に賛否両論がありましたが、その後、町家のお店も増えるにつれ、町家保存のひとつの手法となりえた事はいうまでもありません。

今は少し改造を加えられたので、当初の面影はありませんが、今も亀甲屋の看板をあげて営業を続けていてくださることは、本当にうれしいことです。



                                    杉木源三



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120206-7.jpg前回、IMP・ACTのお話をしましたが、その前後から、京都にもいよいよ横文字の職業が増えてきました。
プロデューサー、ディレクター、デザイナーetc.・・・
東京から遅れること10年くらいではなかったでしょうか。

それに呼応して京都の企業もCI、VIなどに取り組むようになりました。
そんな時期にOPENしたIMP・ACTを通じて僕もいろいろな方とお知り合いになることができました。
IMP・ACTにはオシャレな人々が集まってきましたが、当時、街中には若者がオシャレをしても、食事にいくお店がありませんでした。
西賀茂には「まんざら亭、TONARI」など隠家的なお店がありましたが、街中には赤提灯的な店か日本料理店のような、安いか高いかどちらかというお店が大半でした。
そこでIMP・ACTを通して知り合った人たちで、あるプロジェクトが立ち上がりました。

スポンサーがついて、河原町車屋町を東に入ったビルの3階に『価格帯は赤提灯で、料理、空間、サービスは日本料理店のような若者の店』をつくろうということになったのです。
店の名前はまんざら亭のオーナーが考えた「うふふ」に決定。
オペレーション、運営方法などをみんなで寄って話し合う、本当にわくわくするプロジェクトでした。

僕は店舗デザインを依頼されて、客動線に沿った空間構成を考えました。
エレベーターのドアが開くと露地があり、門の格子戸を開けるとレセプションまでのアプローチがあります。
そこでスタッフがお客様をお迎えし、お席まで案内します。

中庭的なビッグテーブル席があり、それを中心に座敷席と離れのテーブル席となります。
要するにビルのワンフロアに屋敷を一軒造り込んだわけです。
プロジェクトには今や世界的に有名になった和紙作家の堀木エリ子氏にも離れのビッグ襖和紙で参加してもらっています。

当時の京都では、投資金を消去するのに長い時間を要しました。
雑誌等に出すとピークが早くくるためわざと載せず、「口コミ」だけでOPENしました。
しかし、若者の想いは当時皆同じで、このような店を切望していて、みるみる口コミは広がりました。

今50歳前後で、20〜30代を京都で過ごされた皆様は、一度はこのお店を訪れていただいたことがあると思います。
今は死語となった、ボディコンのギャルたちが街を闊歩していた頃に、若者の社交の場となったこの店が、その後のオシャレ居酒屋の走りであったことに間違いはないと思います。

このようにビルの中に屋敷を造るデザインは大きな経験として、僕のその後の仕事にも何度もリピートされています。



                                    杉木源三



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仁寿殿 再OPENのお知らせ

SPACEがデザインさせていただいた『仁寿殿 ゲストハウス京都』が2月より、新しい賃貸形式で再OPENされました。

長期滞在を考えると、一部屋あたりの一日分の料金がかなり割安となります。
グループシェアなどの利用方法を考えると、新しい京都滞在が可能となります。

何かの折りのために、皆様のご記憶に留めていただければ幸いです。



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